PROFILE

プロフィール

私たち夫婦の人生

私たち夫婦は15才で出会い30才で結婚しました。3人の子育て(1人はまだ子離れ出来ていませんが…笑)をしながら10回以上の引っ越し、10回以上の転職、奇跡的に助かった経験など、波乱万丈の人生を生きて来ました。これまでに得た豊富な経験が生かされたのだと思いますが、今までに多くの方々をサポートして来ました。

小笠原清人

世界一周をした友人に、世界で一番良かったとこはどこ?と聞いたら

『カリブ海のバハマ』と答えた。

そこで私は、30歳のBirthdayに、カリブ海のバハマと大好きなReggaeを聞きにジャマイカに行こう!と日本を発ちました。

「O.K」
レントゲンを見終わったバハマの医師は、O.Kマークを出しながら、私ともう1人の医師に向かってそう言いました。渡されたのは首を一周ぐるっと巻く厚手のプロテクトのみ。薬もなし。私は「O.Kでよかった。」と思いました。

次の日はマイアミ経由でジャマイカへ、タイミングよく?空港に預けた荷物が届かなかったのでまったく着替えがなく、プロテクトを付けて モンティゴ・ベイにあるハーフムーンホテルのpool Suiteのベットで丸1日寝ていました。

しかし、次の日には1日遅れで荷物も届き、プロテクトを付けて観光をするのはいやだなぁー と外し、妻が乗馬をしたいというのでホテルデスクに申し込みに行きましたが、これもまたタイミングよく?予約がいっぱいで馬には乗れず、仕方なくタクシーに乗ってモンテゴベイのダウンタウンに出かけました。次の日は小型飛行機でジャマイカの首都キングストンに行き、24歳の時に作った会社の名前はここから頂いたHigh Times Recordsに行き、レコードなどを買い、キングストンを観光をしました。モンティゴ・ベイに戻って、今回の目玉でもあった、現地人ばかりの真っ暗闇の中、日本人は私と妻の2人だけで、怪しい香りの中『Reggae Concert』を鑑賞しました。ジャマイカを離れ、それからマイアミ・オーランドのユニバーサルスタジオ、ディズニーランドとまわって・・・旅は無事?終わり、日本へ帰国しました。

帰国後、1~2週間経って、なんだか右足と右手がおかしいなぁー、しびれるなぁー、となり、一度病院で診てもらおうと、世田谷の三宿病院へ行きます。

レントゲンを見ながら担当の医師は、
「第6頸椎が折れてましたね~。もうくっついていますが……。」
「エッ? 本当ですか?…」
「ええ。」
がーん!
冷汗。

えっどうして首の骨を折ったって、バハマの青い海に飛び込んだときに、ちょっと頭で地球とケンカをしてしまいまして、ハッハッハッという訳です。

しかし、考えてみれば、よく助かったなぁー、一歩間違えれば、一生半身不随だったかもしれない…怖

それからのリハビリ生活。ここでも様々な出会いがあります。

今思えば、いろいろなことに意識して気付き出したのはこの頃からでしょうか……。

私は、昭和38年に築地の病院で生まれ、2才から世田谷区の駒沢に住み、くじで受かった、学芸大の付属世田谷小、中学校、初めて真面目に勉強をして駒沢大学高校、駒澤大学経営学部と卒業させてもらいました。学生時代は、アルバイトとサーフィンに明け暮れ、大学2年の時に、世田谷の経堂にハワイで知ったプレートランチを出すCAFEをカウンターキッチンのお店をそのまま借りてやってみましたが、若気の至りでした。

大学卒業前に宅地建物取引の資格を取り、不動産会社に入社しました。ちょうど日本全国バブルの時期でした。

1年後の24才のとき、先輩からの良い話があり、練馬区でビデオレンタル店を居抜きで譲り受け、カッコよく言うと起業しました(笑)

更に1年後、高校時代の同級生と有限会社High Time Corporationを設立、それからビデオレンタル店をもう一軒(川崎市宮前区)と、中古車の販売店を川崎市多摩区に、飲食店を三軒茶屋と渋谷に開業しました。

しかし、バハマでの第6頸椎の骨折・リハビリ生活、その後、妻の父親の死、長女の誕生、長女のアトピー、次女の誕生 次女は心臓中核欠損という心臓病で、次女の誕生とともに、急激にライフスタイルが変わり出しました。

今までの価値観が変わり、すべては自分たちのまいて来た種と、自覚せざるを得ない出会いが重なり、これらのすべてを東洋医学、自然療法、ハーブ、自然食、マイクロビオティック、瞑想、呼吸法、自然健康法で克服するという(ピンチは)チャンス?(苦労?)に恵まれました。

私も妻も、子供たちのお陰で健康になり、月日が経ち、42歳で不動産屋にカムバック。

ロンドン・アムステルダム・ブリュッセル・パリ・那覇・バンコク・プーケット・香港・マカオ・ホノルルと出かけ、懲りずに、今度はドバイです。

ランクルに乗って、砂漠のデザートサファリです。途中、砂漠の中のベドウィン(遊牧民)の村を再現したキャンプサイトで、ベリーダンスショー付のディナーになるのですが、ここでラクダやバギーに乗れるのです。

このバギーが良くありませんでした。そして病院も…

転倒して、鎖骨骨折とあばら骨折でアラブでは一番だと言う国営のRashid Hospitalに入院。
しかし、不幸は続きます。
日本だったらあり得ない事が、起きます。

手術後の次の日の夜、夜中、右腕が急に動かなくなるのです。
腕が、ぶらーん 状態です。自分の意志では腕が上がらないのです。
左手で持って上げても、離すと ぶらーん です。

手術中におそらく医師がミスを犯し、神経を傷付けてしまったのではないかと。

帰国後・日本の医師がそっと教えてくれました。

日本ではあり得ないけど、もし日本であったら、大変な事になって、慰謝料だけでも大変な事に…(笑)

ドバイの日本領事館に、現地にいる弁護士の方を紹介して頂きましたが、まったく話にならず、結論は、病院は国営であり、ドバイは王国であるから、裁判の相手は、国王。

裁判自体を国王相手に誰もやりたがりません。と。

OH! GOD! なんてことだ!

すべての出来事は、その人の魂に必要だから起こるにしても…
どんなに行いが悪いにしても…
身体障害者になるなんて…

しかし、考えてみれば、よく助かったなぁー、肩から落ちずに、頭から落ちていたら、死んでいたかも知れない…怖

そして、ドバイの事故から、3年が過ぎ、腕は上がるようになりましたが、まだ物は掴めません。今もリハビリ中です。見た目はもう普通です。ほとんどの人が言われないと気が付かないと思います。2018年は、ハノイ・シェムリアップ・ホノルル・北京と家族で、ソウルは会社のスタッフも連れて行ってきました。

とま~、私のプロフィール 書きだしたら、まだまだ止まりません。
波乱万丈なのは間違いないです。

数年前に、妻が、年が行ったらパパの本を書くと言っていました(笑)

ちょっと普通ではないですかねー
でもこうやって生きている。いや、生かしていただいている。
人生不思議です。

必ず、何かに助けられていると思います。

若い時は、自分の事ばかりで無我夢中でしたが、最近は、少しは世の中のお役に立ちたいなと思う様になりまして…また思ったらやらないと気が済まないものですから、本格的にこのサイトも作りまして…

ですので、皆さんとお会い出来る事を楽しみにしております。

続きの詳しい話はまたお会いした時にでも…(笑)

PS
いい加減、もうケガはしないと思うので、次の旅行は2年位の間に、妻と二人ファーストクラスで世界一周に行きたいなと思っています。でもその前にキューバは行っておきたい(笑)

小笠原宜香

マクロビオティック(食物の養生法と 東洋の易の陰陽を組み合わせた宇宙と調和をするテクニック)、フィトテラピー(アロマテラピー、西洋のハーブなどを用いた植物療法)、古代神道、賢者の教えなどをベースにした生活で、子供3人を健やかに育て、これらのさまざまな知識や経験を活かし、タロット&チャネリングを通じて、ご相談者さまがしあわせに、そして笑顔になる為の最善のアドヴァイスをすることをライフワークとしています。

辛いことを我慢していれば、この先にしあわせがと、
考える、真面目なあなた、
いつまで我慢しなければいけないのでしょう?…

いえ もう我慢はしなくていいんです。
大丈夫です、今からしあわせになれます。

しあわせになるには、『気づき』が必要です。
さあ 幸せになる準備、
『気づき』を受け入れる準備は出来ましたか?
受け入れる準備が出来たら,
ぜひ、私たちのところにお越し下さい。
ご縁に感謝致します。
ご連絡お待ちしております。